ノクターナル・アニマルズを鑑賞してきました。
フライヤーに惹かれて、「これは絶対に観よう!」と決めていた映画です。
とにかく悲しく、胸が張り裂けそうなミステリーでした。
映像が美しく、秋の夜長にオススメしたい映画です。
Contents
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ノクターナル・アニマルズのあらすじ
元旦那から送られてきた小説に、心を掻き乱される女性が主人公の映画です。
スーザン(エイミー・アダムス)は夫とともに経済的には恵まれながらも心は満たされない生活を送っていた。ある週末、20年前に離婚した元夫のエドワード(ジェイク・ギレンホール)から、彼が書いた小説「夜の獣たち(ノクターナル・アニマルズ)」が送られてくる。彼女に捧げられたその小説は暴力的で衝撃的な内容だった。才能のなさや精神的弱さを軽蔑していたはずの元夫の送ってきた小説の中に、それまで触れたことのない非凡な才能を読み取り、再会を望むようになるスーザン。彼はなぜ小説を送ってきたのか。それはまだ残る愛なのか、それとも復讐なのか――。(TOHOシネマズサイトより)
フライヤーの「それは愛なのか、復讐なのか」というコピー通り、結末は「元旦那の想い」に余韻が残る映画でした。
ノクターナル・アニマルズの監督とキャスト
監督は、ファッションデザイナーのトム・フォード。
本作でヴェネツィア国際映画祭の審査員大賞を受賞しています。
主人公スーザンを演じるエイミー・アダムスは、今年日本で公開されて話題になった「メッセージ」でも主演を務めています。
メッセージで演じたルイーズ博士と本作のスーザンはキャラクター性で通じるところがあり、エイミー・アダムスはどこか空虚な女性を演じるのが上手い女優さんだと思います。
元夫のエドワード兼トニーはジェイク・ギレンホール。
ピープル誌が選ぶ「最も美しい50人」のひとりに選出されており、じつはわたしも大好きな俳優さんです。
フライヤーをみて「しかも、ジェイク!」と鑑賞を後押ししてくれました。
【ネタバレ】ノクターナル・アニマルズを観た感想
鑑賞後すぐは、「とにかく悲しくてたまらない」気持ちでした。
待ちぼうけをするスーザンに「自業自得」「ざまあみろ」という気持ちが湧くわけでもなく、ひたすら悲しくてたまらないのです。
トニー=エドワードで小説と現実が重なり合う
ずばり、小説のトニーはエドワードそのものだったのではないでしょうか。
かつて付き合っていた頃、スーザンはエドワードの書いた小説に対して「自分のことを書きすぎ」「読者が混乱してしまう」と批判して喧嘩をしてしまうわけですが、まさにトニーはエドワードそのものだったと思います。
とくにトニー=エドワードを感じたのは、アンデス刑事が逃げる犯人ひとりを撃ち殺したあと、慟哭するシーンです。
「止めるべきだった」と泣き叫ぶトニーの姿に、そもそも全てがおかしくなる前に食い止めるべきだったのにというエドワードの自責が感じられます。
「スーザンが離れていってしまう前に」「関係がおかしくなる前に」「中絶してしまう前に」エドワードは、何かが起こって復讐をするのではなくて、何も起こらないようにしなければならなかったと深く後悔しているのだと思います。
スーザンは本当に自業自得の女?
エドワードを捨てて、金持ちでハンサムな男と結婚したスーザン。
金持ちに乗り換えたものの夫婦生活は冷え切っており、じぶんを愛してくれたエドワードすら最後は待ち合わせ場所に来ません。
「ざまあみろ」な展開ですし、自業自得だと思います。
とはいえ、スーザンはエドワードと生活を続けていたら心を壊してしまっていたのではないかと感じられてなりません。
ふたりの愛はすれ違っていた
お互い愛し合ってはいるけど、向いているベクトルが違っていたから彼女は「不幸せ」だったのではないでしょうか。
エドワードは別れを切り出したスーザンに対して「愛しているなら、努力をするべきだ」と告げます。
もちろん愛しているなら努力をするべきだし、できると思います。
しかし、エドワードのいう努力は「現状維持」であったり、「ベクトルをじぶんと同じに仕向けるように」という意味合いが強かったように感じました。
愛しているなら、「お互いに」努力をするべきだったのでしょう。
進みたい道があるのに、相手の方向へ引っ張られそうになったら抵抗感は芽生えるし、幸せじゃないと離れたい気持ちになっても仕方がないと思います。
愛し合っているのに、すれ違い過ぎてしまった恋人たちの末路のように感じられました。
【ネタバレ】ノクターナル・アニマルズ結末の解釈
映画「ノクターナル・アニマルズ」は、エドワードを待ち続けるスーザンの姿でエンドロールを迎えます。
エドワードはスーザンの前に現れませんでした。
エドワードが最後にとった行動の意味
スーザンを愛したエドワードは死んでしまったのではないかと思います。
じっさいに自殺してしまっているかもしれないし、物理的な死ではなくても決別の意味で「もういない」ということです。
エドワードは愛する人も、愛する子もすべて失い、復讐までも終えて燃え尽きてしまった状態です。
すべてを終えて死んでしまったから、スーザンの前にエドワードは現れなかったのではないでしょうか。
救いのないまま小説を書き上げたエドワードを思うと、「とにかく悲しくてたまらない」という心境でエンドロールを迎えるというわけです。
【感想まとめ】送られてきた小説は復讐だったのか?
エドワードがスーザンに小説を送ってきた意味は「愛であり、復讐も含む」と解釈しました。
スーザンに復讐するのが目的ではなくて、一方通行でも自分の想いを伝えたかったのではないかと思います。
小説のエドは復讐に燃える男というよりも、不甲斐ないじぶんを情けなく思う男でした。
何もできず、大切なものを失ってはじめて「やるべきことがあったのに」と深く後悔しています。
とはいえ、この小説を送ってきた意味には「俺のことを思い出せ」「俺の苦しみを理解しろ」といったエゴや復讐めいた気持ちが含まれています。
まさにエドワードのスーザンに対する想いは、紙一重の愛情と憎しみだったのでしょう。
ジェイク・ギレンホールが好きな俳優ということもあり、わたしはエドワード側に入れ込んで観てしまいましたが、美しく悲しいミステリー作品でした。